類の携帯を覗き込んだ俺は、思わず
「あのヤロー。」
と呟いた。

私用で3日休むと言っていた牧野が、どうみてもどこかの温泉で寛いでアイスを食ってる画像にしかみえねぇ。

「類、牧野に電話しろ。」

「ん?」

「あのヤローにかけろって言ってんだよ。」

キレかけてる俺に相変わらず呑気な類は、はてなマークの表情。

「あのヤロー、3日も会社休みやがって温泉かよ。
緊急の私用ってやつはこれか?
仕事をナメてやがるっ。」

そう言って類から携帯を奪った俺は発信履歴から牧野という文字を見つけ手早くコールボタンを押した。

「おいおいおい、司が暴走してるぞ。」
「めんどくせぇ事になりそうだな。」

そんな総二郎とあきらの声を無視して携帯を耳にあてる俺に、
「司、なに熱くなってんの?」
と、楽しそうに笑ってやがる類。

そんな奴らを無視して電話を鳴らすと、4回目のコールで
「もしもし、花沢類?」
と、いつもより小声で牧野が出た。

「おい、てめぇ、仕事サボっていい身分だな。」

「……。副社長…ですか?」

「あぁ。温泉入ってアイス食って寛いでやがるてめぇの上司の副社長だ。」

これでもかと言うほど嫌味たっぷりに言ってやる。

「どこの温泉地か知らねーけど、明日は仕事に来るんだよな?
緊急の私用っつーのは、存分に楽しんだんだろーな?」
矢継ぎ早にまくし立てる俺に、
「もう、その辺にしてやりなよ。」
と、類が俺の手から携帯を奪い取った。

そして、
「牧野、今どこ?
あれから連絡なかったから心配してたけど、その後どうなった?」
と、優しく類が聞く。


思いつくだけの嫌味は言ってやった。
3日も休んだ牧野を少しでも心配した俺が馬鹿だった。
どうせ、男とでも遊びに行ったんだろ。

類が携帯で話してるのを横目にウイスキーのグラスをガブッと空ける。そんな俺をチラッと見ながら、
「まぁ、勝手にキレて勝手に騒ぐのは司の得意技だから気にしなくていいよ。
それより、あのマンションにまた戻るつもり?
警察はなんて言ってるの?
なんなら、俺のうちにしばらくいたら?」
と、心配げに類が言う。

「犯人は捕まってないんだろ?
牧野、大丈夫?」

「鍵は新しくした?
ベランダのガラスも替えてもらった?」

牧野がなんて返事してるかは聞こえねーけど、類の言葉からは何やら物騒な単語が飛んでいる。
警察?
犯人?

「……おいっ、警察ってなんたよ。」

「……。」

「犯人ってどーいうことだよ。」

「……。」

「おいっ、類っ!」

俺の質問を完全無視して牧野との電話に集中してた類は、
「じゃあね、何かあったら連絡して。」
と、携帯を切り、一言、
「司、うるさいよ。」
と、言いやがる。

「てめぇが返事しねーからだろ。
警察ってなんだよ、犯人ってなんだよっ。」

「んー、牧野のプライベートなことだから言ってもいいのかなぁー。」

「言え。あいつは俺の部下だから俺は把握しておく必要がある。だから言え。」

「んー、でもなぁー。」

こいつ、絶対にこの状況を楽しんでやがる。
その証拠に、
「教えてほしかったらこれくれる?」
と、先月ゲットしたばかりの世界で3つしか生産していない俺の腕時計をニヤリと見つめる類。


「ふざけんなっ。
やるわけねーだろ。」

「だよね。あー、牧野、大丈夫かなぁ、また犯人に何かされたら、」

「何かってなんだよっ、」

「それは、言えないな。」

「わかった、わかった、時計はおまえにやる!
だから教えろっ!」

「ほんと?」

類、てめぇ、いつかぶっ殺す。


俺の世界に3つしかない時計を手に、類が心配そうに話した内容は、
4日前の夜、牧野が帰宅したときマンションの鍵を開け部屋に入ると見知らぬ男がそこにいてバッチリと目があってしまった。
あまりの驚きに声を上げることが出来ない牧野を突き飛ばし犯人は逃げていったが、その後の警察の調べによると玄関の鍵も窓ガラスも壊された形跡がなく、どうやって侵入したかは未だに不明。
一人暮らしの牧野は戸締まりだけは必ず確認していたらしく、考えられるのは合鍵か…。

この3日間、警察の聴取や病院、マンションの鍵の交換やらで会社も休まざるおえなかった。
犯人が捕まっていないままなので部屋に帰るのも怖く、近くのスーパー銭湯で生活していたらしい。

無事に鍵の交換が終わり、風呂に入ってアイスを食ってこれから部屋に戻るという報告のメールを類に送ったあいつ。

「牧野らしいよね。」

アイスを食ってる画像を見ながら呑気にそう言う類に、
「らしいからやべぇーんだろ!
犯人も捕まってねーのに、のこのこマンションに帰る気かよあのバカは。
類、いますぐあいつに電話してそこから動くなって伝えろ。」


ったく、あのバカ女。
なにが緊急の私用で休むだよ。
上司の俺にきちんと話せよ。

そんな愚痴をブツブツ呟き、酒を飲んじまった事に後悔しながら、店を飛び出しタクシーに乗った俺を、

「珍しく熱くなってるんじゃない?司くん。」
と、F3が笑っていたらしい。




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 2017_08_02






パーティーのあとに見たあいつの涙の一件以来、俺の中で牧野に対する距離が縮まった。
それは、あくまで俺の中で……というもので、
あいつにとっては相変わらず上司以外の何者でもない。

それを証明するかのように、俺の前ではいつものポーカーフェイス。
そして、俺以外の前では笑ってやがる。

まぁ、秘書と距離が縮まったからといって特別得るものもねーし、逆に馴れ馴れしくされても困るけどよっ、と思ってみるが、面白くねぇ。

あの時のように、牧野の感情に触れたいと思う俺はおかしいのか……。





それから一週間後のこと、
いつも邸に迎えに来る車に、今日は牧野じゃなく西田の姿があった。

タマもそれに気付き、
「つくしは?」
と聞いているが、

「牧野さんは私用でお休みです。」
と、西田が答えているのが耳に入る。

そして、次の日も迎えはあいつじゃなく西田。
そして、次の日も。

さすがにこれは聞いてもいいレベルだろうと、誰に言い訳するでもなく、
「牧野はどうした?」
と、西田に聞いてみると、

「私用でお休みです。」
と、端的すぎる答え。

「私用ってなんだよ。」

「それは、聞いておりません。」

「あ?3日も私用で休むっておかしいだろ。」

「初日に、緊急の私用が出来たので3日休ませて欲しいと連絡が入りましたので、明日からは出社する予定です。」

一緒に働くようになって半年以上。
あいつの勤労っぷりは俺も認めてる。
だから、突然の私用休暇が気になるところだけど、明日出勤したら上司として根掘り葉掘り聞いてやる、あくまで上司として。


その夜、久しぶりにF4でメープルのバーに集まった。
いつものようにお祭りコンビのバカ話に付き合ったり、類の掴みどころのない趣味話を聞かされたり、ゆったりとした時間が過ぎた頃、類の携帯が短く鳴った。

隣で携帯を確認した類が小さくプッと吹き出す。
そして、「全くどうしようもないなぁ」と優しい顔で笑った。

「なんだよ、類。女か?」
すかさず総一朗がからかうと、

「そう。」
と、にっこり笑う類。

「おいおい、聞いてねーぞ。どこの誰だよ。」

「秘密。」

「俺らにも紹介しろよ。」
そう言った総一朗に、

「もう、みんなも知ってるよ。牧野だよ。」
と、携帯を俺らの方に向けて見せる類。

そこには、3日私用で休んでいるはずの牧野が、
頭にタオルを巻き、浴衣のような出で立ちでアイスを食ってる姿がカメラにおさまっていた。



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 2017_06_16






ホテルの前に用意された車に乗り込むと、いつも通り隣に牧野が座る。
その顔はさっきまでの泣き顔ではなく、相変わらずの秘書モードに戻っている。

けれど、俺はほんの少しの胸のくすぐったさを無かったことにするほど大人でもねえ。

「それで?」

「…はい?」

「あのタイミングでおまえが泣く理由はなんだよ」

「別に泣いてません。」

逃げ切れると思うな、とばかりに赤い鼻のこいつの顔をのぞき込んでやる。

「おまえがそう言い張るならそれでいーけどよ、目の下が化粧が取れて真っ黒なのはどう説明すんだよ。」

その俺の言葉に慌てて目の下を押さえて俺の嘘にひっかかる牧野。

「マスカラとれてます?」

「知らねーよ。」

「副社長、鏡…」

「持ってねー。」

「ですよね。」

実際、こいつがマスカラなんてしてるのかさえ知らねーけど、はじめてこんなに間近で見るこいつの目は、長い睫毛が綺麗にカールされ吸い込まれそうなほどの漆黒の瞳。

「牧野…」

「はい?」

「なんで泣いてた?」

牧野の大きな瞳を見つめたまま、俺はさっきまでの声とは違って自分でも驚くほどマジで聞いていた。

それがこいつにも伝わったのか、

「……悔しくて。」

ポツリと牧野が答えた。

「悔しい?」

「…はい。
だってあり得ないじゃないですか!
副社長と神崎社長の仲を疑うなんて。」

狭い車内に響くでかい声。

「だって、神崎社長は親子ほども年の離れた方ですよ。」

「……。」

その先を聞きたくて黙ってる俺に、相変わらず馬鹿なこいつが驚いたように言う。

「えっ!まさか、神崎社長とそういう仲なんですか?」

「てめぇ、殺すぞ。」

「……。」

「……。」

「じゃあ、どうして好き放題言わせておくんですか?
違うって否定するなり、黙れって脅すなり、殴って歯の一本でも折ってやればいいじゃないですか。」

「それは、一流企業の副社長がやっていいことか?」

「……ダメですけど。昔の副社長ならやってましたよね。」

確かに英徳時代の俺はそうだったし、それをこいつも見てただろう。

「昔はな…、でも今はもうちげーんだよ。
俺も大人になったってことだ。」

「大人になったら、理不尽なことでも黙って聞き流すんですか?
昔は横暴でどうしようもないボンボンドラ息子だったのに、大人になったらすっかりおとなしくなっちゃって!」

興奮してる牧野の口からは上司に向かっての発言とは思えねぇ言葉のオンパレード。

「横暴ボンボンドラ息子っておまえ…」

「だってそうじゃないですか!
手当り次第殴ったり蹴ったり、好き放題してたくせに……、なのに、全然違うんですよ。
それが無性に腹立つというか、拍子抜けするというか、」

何が言いてぇのか分かんねぇけど、なぜか牧野の目に再びじんわりと涙がたまる。

「…だから、なんで泣くんだよ。」

「泣いてませんっ。」

「…ったく、バカだな。」

目の中だけではおさまりきれなくなった滴がポロリと溢れ、牧野の頬をつたう。
それを一瞬で拭い、小さく息をついてポツリと話し始めた。

「半年、副社長の側で働いて分かってるんですあたし。
昔はどうしようもないドラ息子だったけど、今は誰よりも仕事に熱心で、頑張ってるってこと。
だから、あんな下品な噂話、あるわけないし、許せないです。
あんな風に影で面白おかしく言われてるなんて悔しくて。」

悔しい……
そう言って牧野が泣いた理由が、俺が期待してたものと同じだったんだろう。
俺の胸に広がる満足感がそれを証明している。


「心配すんな。
さっきの奴等の顔は覚えてる。
今の俺は、仕事で借りを返すことにしてるから、おまえが泣く必要はねーよ。」





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 2017_06_13





NYにいるときは、パーティーの招待状も封を開けずデスクに積み重なっていたことが多々あったが、日本に帰ってきてからはそうはいかない。

日本支社の副社長という肩書き上、ババァの目も光っているし、財界のジジィ連中ともうまく付き合うのがビジネス上、速道だと分かっている。

毎月少なくても2、3回はパーティーに顔を出すが、今日はどちらかというと年齢層が若い。
俺と同じく二世がごろごろとたむろっていて、長くいても得る収穫は少ないだろう。

早めに切り上げて帰るのが得策だと思った矢先、
「あらあら、司くんに会えるなんて今日はついてるわ。」
と、 久しぶりに見る顔に出会った。

「お久しぶりです。神崎社長。」

「久しぶりね。元気だった?」

「はい、おかげさまで。」

そう言って頭を下げた俺の肩に手をおき、
「大きくなったわね。」
と、優しく笑うこのご婦人はババァの旧友である不動産会社の社長。

俺がガキの頃から邸にも遊びに来ていたし、学生時代の荒れてた時期も「青春ね。」なんて笑って小言のひとつも言わなかった貴重な存在だ。

「日本に帰ってきたのは楓さんから聞いてたわ。」

「はい。おかげさまで。」

「近い内、一緒に仕事が出来ることを楽しみにしてるわ。」

「こちらこそ、その時はお手柔らかに。」

昔と変わらない優しい笑みに、自然と表情が和らぐ。
そんな俺たちのやり取りをパーティーに来ている若いやつらがヒソヒソと話ながら見つめているのは気付いていたが、もうこれ以上ここにいても意味がないと、

「帰るぞ。」
と後ろに控えていた西田に声をかける。

「はい。すぐに車を用意させます。」







ホテルの入り口に車が到着する間、クロークに預けてあったコートを受け取り、エレベーターを使わずにエントランスへ続く螺旋階段をゆっくり歩いていると、物陰から 「道明寺」という単語が聞こえ足が止まった。

どうやら、俺と同じようにパーティーを切り上げて帰るところなのか、若い奴らが3人 声を潜めて談笑しているが、その内容が見た目同様下品きわまりなく、思わず聞いてる俺も顔をしかめた。

「天下の道明寺司も神崎社長の前では腰が低かったな。」

「相手が男の時は容赦ない態度なのに、女が相手だとああも態度が変わるものか。」

「ひょっとして、あの二人もそういう仲なのかもしれないぞ。
この間の○○商事の息子のこと聞いてないか?」


○○商事の息子のことは俺も小耳に挟んでいた。
取引先の20も離れた年上の女社長と不倫の末、あるパーティーで別れ話で揉め修羅場を繰り広げたらしい。
それをあきらの口から聞いて、
「おまえも大概にしておけよ。」
と、釘を指したばかりだ。


3人は酒が入っているせいか、噂話が止まらない。

「浮いた話のひとつもない道明寺司が、実は熟女好きでしたーなんて笑えるよな。」

「独り身の女社長なんてたくさんいるから、食い放題だろ。」

「あの容姿ならどんな女もひっかかるだろうし、一回寝たら仕事の取引も成立ってことか?
さすがアメリカ仕込みだな。」


昔の俺ならここまで言われて黙っていなかっただろう。
後ろから蹴りあげて骨の1本や2本、間違いなく折ってやった。

けど、俺も成長したんだよ。
ビジネスの世界、結局は仕事が出来てなんぼ。
この仕返しは、必ず仕事でたっぷりと返してやるからな、と、物陰に隠れている奴等の顔をしっかりと確認した俺は階段をゆっくり下り始めたとき、俺から死角になってた場所に立つあいつと目があった。


「牧野?」

「……副社長、……車が用意出来ました。」

「おう、今行く。」

そう答えて足早に階段を下りる俺の後ろにいつものように牧野も付く。

そして、階段を完全に下りきったとき俺は言った。

「なんでおまえ泣いてんだよ。」

「……泣いてません。」

「泣いてるだろバカ。」

「…………。」

「鼻、真っ赤だぞ。」

「……花粉症で、」

「もう花粉なんて飛んでねーよ。
ったく、……おまえの感情バロメーターは俺の前では発動しねーんじゃねーのかよ。」

「……はい?」


いつも、俺の前では無表情のこいつが、
他のやつらの前で見せる笑顔じゃなく、
泣いている。

それが、無償になぜだかくすぐったくて、
こいつの口から理由が聞きたかった。

「帰るぞ。」

「はい。」




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 2017_05_19





牧野つくし。

こいつが俺の秘書になって半年、常に行動を共にするようになってから俺には解せないことがある。


「つくし、昨日も坊っちゃんに付き添って遅くまで会社にいたのかい?」

「はい。」

「顔に寝不足って書いてあるよ。」

道明寺邸の使用人頭であるタマと親しげに話す牧野は、タマだけでなく運転手や庭師ともいつの間にか仲良くなりやがって、邸ではちょっとした人気者だ。
毎朝、俺を迎えに邸までくるこいつを待ち構えるかのように誰かしらが話しかけている。

そして、それは会社でも変わらない。
もうふた回りも歳の離れた重役連中からも可愛がられ、俺の前では表情ひとつ変えねぇ西田とも和やかにうまくやっている。

それはそれで秘書としては上出来なんだろーけど、
…………気に食わねぇ。

なにが?って聞かれると、うまく言えねぇけど、
ほらな?これなんだよ。

「副社長、来週のパーティーですが予定通り出席でよろしいでしょうか?」

「…………。」

「……副社長?」

返事をしねー俺の方を、まっすぐ見つめる牧野の顔には笑みのひとつもねえ。

「副社長?」

「おまえさ、あの部長の川上みてぇな奴が好みなのか?」

「はい?」

「あんな禿げたじじい、どこがいいんだよ。」

デスクに座る俺と、その正面に立つこいつ。
たっぷり間が空いたあと険しい顔で牧野が言う。

「朝からなんの冗談ですか?」

ほらな?またこれだ。
冗談だと思うなら少しくらい笑ってみろよ。
俺を見つめる目も表情もガチガチに冷てぇ。

俺の前で愛想を振りまかねぇ女はこいつくらいだ。
いや、ババァもそうだし、タマもそうか。

そんなことを考えてると、

「副社長、気分でも悪いんですか?
ニヤニヤしてきもちわるいですけど。」

と、相変わらず可愛くねぇこいつ。

朝から秘書相手に遊んでてもしょうがないと、気を取り直してデスクの上にある書類に目を通したとき、

「あのー、」
と、歯切れ悪く牧野が言った。

「あ?」
顔をあげた俺に、

「朝から気になってたんですけど、副社長の髪に何か付いてますけど。」
と、俺の頭を指してこいつが言う。

「髪に?」

「はい。たぶん糸くずかと……」

牧野の指摘に俺は髪をさっとかき分けると、

「あっ、」
と、牧野が短く叫ぶ。

「なんだよっ。」

「いえ、あっ、……今ので余計に髪の中に入り込んじゃいました。」

その言葉にもう一度髪をかきあげるが、目の前の牧野の顔は渋いまま。

「おまえ朝から気付いてたなら早く言えよ。」

「そのうち取れるかなーと思ってたので。」

「取れてねーじゃん。」

「思いの外、副社長のカールが激しいようで。」

「おまえ、ぶっ飛ばすぞ。」

こんなやり取りも最近は日常茶飯事だ。

「取れたか?」

「……いえ。あー、もう少し右です。」

見えない敵相手に、セットしてきたヘアースタイルも台無しだ。

仕方なく、壁にかけてある大きな鏡の前に移ろうと立ち上がりかけたそのとき、

「失礼します。」
と小さく言ったあと、牧野が座る俺のそばまで近付き、触れるか触れないかのタッチで俺の髪に手を伸ばした。

「あ、やっぱり糸くずですね。」

「…………。」

「取れましたよ。でも、髪、セットし直した方がいいですね。」

「…………。」

「副社長?」

無言の俺の顔を見ながら不思議そうに俺を呼ぶ牧野。
そんなこいつの呼び掛けを聞きながら、俺は別のことを考えていた。

こいつが秘書になって半年、毎朝、狭い車内で隣に座り、密室のエレベーターでオフィスまであがり、夜遅くまで行動を共にする。
気を遣うどころか、俺の悪態にも怯まずその上をいくこいつとは長い時間一緒にいても疲れることはない。

そんなこいつの存在が邪魔じゃねーのは、俺が牧野を女として見てねーからだと思ってたが、

もしかしたら、それは違うのかもしれねぇ。

俺の髪に触れたかすかな感触。
それは、牧野がムキになって俺を見上げてくる時や、うまそうに差し入れのケーキを食ってるとき、自然と俺まで笑っちまうなぜか俺を満たす甘い感情。

そして、今俺は一瞬で理解した。



俺は自分のテリトリーに牧野を入れることを無意識に許していて、……それが嫌じゃないということを。



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5話、更新遅くなりました~。
お待たせしました。




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Author:司一筋
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